ウインドウズ・ミュージック

インターネットって本当に広い!
発想、才能、知恵がゴロゴロと転がっている世界。

ある掲示板に紹介されていたフラッシュです。
アンナモノコンナフウニまでする奴がいるなんて、驚きです。
ぜひぜひご覧あれ。

「題名のない音楽会」

※ タイトルは私が勝手に付したものです。あしからず、よしからず。

駱駝頭狗肉(ようとうくにく)

今日は趣向を変えて、私の吸っているタバコのお話を。

camel.jpg

※画像はシリウスタバコさんから拝借(http://www.tabako.co.jp/)※


CAMEL」という銘柄です。
もう十数年吸い続けているのですが、味が相当変わっているのですね。
タバコを吸ったことのない人は「煙に味なんてあるんかいな?」と思うでしょうが、銘柄によってガラリと味は変わります。たとえば「ロンピー」などの愛称がある「ピース」というタバコは、とても甘いのですね(ロンピーはロングピースの略称で、フィルターがついたものを言います)。

ところがCAMELは、同じ銘柄であるにも関わらず、味が違う。私の記憶だけでも小さく2回、大きく1回、計3回は変わっています。

愛煙家ならおわかりだと思いますが、CAMELは元々アメリカのタバコで、R.J.レイノルズという会社がつくっていました。歴史も結構長く、100年近くあるでしょうか。パッケージデザインのひとこぶラクダも、その頃から変わっていません。タバコを吸わない人でも、キャメルのパッケージデザイン、一度はどこかで見たことがあるのではないでしょうか。

私がこのタバコを吸い始めたとき、ハードケースのものなどありませんでした。ソフトケースです。ハードケースとは、今のタバコのほとんどが採用している箱形のものを指し、ソフトケースとは、紙に包装されたものを指します。昔のタバコは、ほとんどすべてがソフトケースでした。

買い求めていたのは両切りタイプ、つまりフィルターがついていないタバコです。両切りを吸って格好をつけたいという気持ちもあったのでしょうが、「これぞタバコ」という味が気に入ってしまって、買い続けることになりました。舌にねっとりとまとわりつくような感じの重さ、鈍さというのでしょうか、重厚感と奥行きのある味は、いかにも「今、タバコを吸っている」という気にさせてくれました。

ところが1年、2年かのち、その両切りタイプは姿を消します。なんと、発売中止。仕方なくフィルターのついた「FILTERS」というタイプを吸うようになりました。味が違うのですよ、これ。単にフィルターを付けただけかと思いきや、両切りタイプにあった重厚さが薄まっていました。私が知る味の変遷パート1です。

重厚さが薄まったとはいえ、キャメルらしさは十二分に残っています。このタイプを数年ほど愛飲していたでしょうか。やがて、時代の流れなのでしょう、箱形のハードケースも売られるようになりました。ソフトケースとハードケース、単なる包装状態の違いだけだと思っていたのですが、不思議なことにこの二つ、味が違うのですよ。ハードケースのものは味に深みがない。あらあら、おかしなこともあるものだと思いましたが、私が買っているのはソフトケースのほう、関係ないと思っていました。

ところが、あるときからソフトケースが店頭から消えました。行きつけのタバコ屋さんに聞くと、「ああ、キャメルは全部箱タイプになったわ」。なんと、2度目の発売中止です。それでも、まあまあ仕方がない。数年も吸ってきたタバコです。他に気に入った銘柄もありませんから、ハードケースのフィルターズに乗り換えました。味の変遷パート2です。

2002年だったか、2003年だったか、あるとき、いつものように自販機からキャメルを買い、これも当たり前のようにタバコを取り出して火を点けた瞬間です。

「なっ、なっ、なんじゃこりゃ これ、キャメルとちゃうやないか

ええかげんなアメリカの企業だから、何かのタバコと間違えて詰め込みよったな、と思ってパッケージをみると「R.J.レイノルズ」というメーカー名が消え、そこに「JT(日本たばこ産業)」という文字が印刷されました。味の変遷パート3です。変遷というよりも、改悪です。改悪というよりも、ラーメンという名のハルサメです。まったくの別物になっていました。

ビジネスの手法としては、なんとなくわかります。アメリカのメジャー銘柄である「CAMEL」の日本における製造販売のすべてを手に入れたJT。アメリカ人の嗜好から日本人の嗜好に合わせよう、そして当時からの潮流であるライトな味、低タールなものにして販売成績を一気に伸ばしていこう。そのために調合変更を行なったのだと思います。

実際、それまでキャメルを置いているタバコ屋なんてほとんどなかったのですよ。
私などは市内でキャメルを販売している自販機の場所を覚え、タバコが切れたら車で買いに行ったものです。梅田などの繁華街に遊びに出かけるときも、その周辺でキャメルが売っている可能性はきわめて低いと考えて、必ず予備を用意してから出かけていきました。遠出するときはカートンを買いました。
それがJTメイドのキャメルに変わった途端、あちらこちらの自販機に置かれるようになりました。強力な販拡です。
でもね、味がまったく違うのですよ、キャメルではないんですよ……。

よくよく考えてみたら、JTは「CAMEL」というビッグネームだけがほしかったのでしょうね。何をもってキャメルとするのかということは、間違いなく、まったく考えていません。まさに羊頭狗肉です。

JTさん、広く売っていこうという戦略は成功しましたか?
CAMEL」という金看板は効果がありましたか?

このブログを書きながらネットをウロチョロとしましたら、やはり同じことを感じたCAMEL愛好家がたくさんいました。なかにはこだわって、アメリカから直接買い求めている猛者まで。

面倒くさがり屋の私はそこまでしません。ニセモノのキャメルを、今も吸い続けていますよ、JTさん……。

抽象は具象の果てに

EBのお知り合いから紹介を受けて、mixi(ミクシィ)というソーシャル・ネットワーキングサイトなるものに登録をしました。紹介をいただいたのは去年末、だから1ヶ月ほど前の話になりましょうか。

「ソーシャル・ネットワーキングサイト」と謳われていても、はてさてそれが何なのか、どういうことをするのか、私にはまるっきりわかりません。自分のプロフィールを書き込み、そして簡単な日記もつけられるようになっている。友人知人などを自分のページに登録して、そしてサークルに近いものだと思うけれども、気に入ったコミュニティにも自由に入ることができる────。おおよそ、まだそんなことしかわかっていない程度です。

そのミクシィに、昨日だったか、一昨日だったか、浅田次郎のミュニティがあることを発見して、早速入会させてもらいました。
浅田次郎、本当に好きなのですよ。これほど美しい言葉で、これほどに美しい物語を綴れる作家は現代の日本においていない、とまで思っています。好きというよりも、惚れ込んでいるといったほうが合っているかもしれません。

そんなきっかけで、久しぶりに浅田次郎の文章でも読もうかと思い、本棚に目をやりました。パッと飛び込んできたのが『天国までの百マイル』という作品。本棚にあるということは一度読んだ本ということになるのだけれども、改めて読み直しました。

一気の読み上げです。所々で涙です。
同時に違うもう一方の頭で、以前は感じることのなかった「抽象と具象」ということが浮かんできました。

ホームページで、よく自家製の小説や詩をあげたりしている人をみかけます。ネットをうろついたときなど、ついそういうものを読んでしまうのだけれども、抽象的な表現で著わしているものが多いのですね。私の場合は形容詞多用の文章を「抽象的」としているのですが、形容詞を多用し、より抽象的にすることが小説や詩の優れた文体であるかのように、美しい文章であるかのように思っている人が多いように思います。
もちろん、ホームページに小説や詩を載せている人たちはプロではありません。だから自由に書けばよいのだけれども、私などは気になって仕方がないのですね。

おそらくそういう書き手さんは、実際に目の前で見ていたり、手につかんでいたり、そういう具体的なイメージをつかんでいないのだろうと思います。まだおぼろなイメージのままでそのときの状況や感情などを描こうとするから、形容詞的な抽象表現に逃げてしまっている。どうもそんな感じがします。

キツい言い方をすれば、具象をとことん突き詰めていくという作業から逃げているのかもしれません。
絵画でいえば、デッサンをするのが面倒だから、あるいはうまくデッサンできないからと、最初からピカソのような抽象画にしている。そんな感じです。

浅田次郎の作品を読み直して思ったのですが、やはり具象なのですね。その具象的表現の積み重ねのなかから、美しい抽象的表現が生まれています。

小説ですから、書き手の想像の世界です。事実をもとにしていたとしても、あくまでも書き手の頭のなかに浮かんでいる世界を文章として表現しているだけです。実際に手で触ってみたり、匂ってみたり、なめてみたりしているわけではありません。
優れた書き手というのは、その頭のなかに浮かんできたものをリアルなものとして、細部に至るまで事細かく把握しきっている。髪の毛一本の光沢や動きまでとらえきってから、文章にしている。だからこそ、そこに美しい文章、文体が生まれてくるのだと思います。

で、もうひとつ思ったこと。美しい世界を描くことのできる人って、やはりその人の心そのものが美しいのでしょうね。だって、邪(よこしま)だったり、歪だったり、そういう心の人は、美しい世界を細部の隅々にいたるまでイメージできないもの。

浅田次郎、この人は素晴らしいほどに美しい心を持った人なのだと思います。

生意気なことをつらつらと述べながら、私自身の反省文を書きました。
そこで今回の教訓!!

 文章というものは、本当は操るべきではない

以上、終わり!
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